小説 昼下がり 第六話 『冬の尋ね人。其の一 』



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 「奥さん、杉本さんって?」
 啓一は、何となく気になった。
 「この裏に、〔立花〕って本屋がある
だろう。そこの親父さ。
 秋ちゃんとは、因縁浅からぬ関係よ」
 「源さん、もういいわ、やめて。
 啓ちゃんには関係のないことよ。源さ
んも飲んで。ほら、啓ちゃんも!」
 いつもの元気な秋子の様子に戻った。
 先ほどまでのみぞれが今や止み、底冷
えする寒さが辺りを包んだ。
 ―その夜、啓一は寝付かれなかった。
 〔秋ちゃんとは因縁浅からぬ…〕が気
になっていた。あの本屋の親父との因縁
とは。そして源さんとはー。
 啓一は、無数にも絡んだ糸が解(ほど)
けなくて、瓶の中で身悶えする小さな虫
の心境に陥っていた……。
       (三十)
 正月も明けた十三日、啓一は韓国金浦
(きんぽ)空港に降り立った。
 その日、羽田空港まで、わざわざレン
タカーを借りて、山田教授と秋子が見送
りに来てくれた。
 啓一は、KALに搭乗する間際の、秋
子と教授の言葉に引っ掛かるものを感じ
ていた。

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 ―「啓ちゃん、お願いね。そしてね、
この旅で知り得たことは、啓ちゃんの胸
の中にしまっておいてね。
 私と教授以外にはね。もちろん、妙子
も知らぬことよ」
 「秋ちゃん、啓一君は大丈夫だよ。
 利口だし、状況判断には頭抜(ずぬ)け
ているから」
 教授は父親のような優しい眼をして、
啓一を見詰めたー。
 ―外は寒い。空港出口に掛かる温度計
は、零下十七度を指していた。
 寒いというよりも、凍るような感覚。
 身震いがした。
 タクシーでソウル駅への途中に見える、
韓国唯一の大河、『漢江(ハンガン)』に
は、氷がビッシリと張っている。
 子供たちがスケートに興じていた。
 空はどんより曇(くも)っている。今に
も雪が降りそうな気配だった。
 広い幹線道路に出た。一本道。昨年の
春にも、この道路を通ったが今回、改め
てその広さに仰天した。
 「広いな…」。啓一は、小さく呟いた。
 「お客さん、びっくりするほど広いで
しょう。分離帯がないのです。
 両方合わせて十車線はあります」

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 タクシーの運転手がバックミラーを見
ながら笑みを浮かべ、話しかけてきた。
 そして、言葉を続けた。
 「有事のときには滑走路に使うのです。
今でも北との緊張は続いていますから」
 流暢(りゅうちょう)な日本語だった。
 「わしらは子供の頃は日本語で育った
から、お客さんの言葉は解ります。
 朝鮮戦争でこの国は破壊されてしまっ
た。北が憎い。十五年経った今でも憎い。
親父とおふくろが……。不条理です」
 そう云うと、運転手は言葉に詰まった。
 啓一もやるせない気持ちになった。
 〔不条理…〕が啓一の脳裏をかすめた。
 世の不条理を問うた、アルベール・カ
ミュの小説『異邦人』にこうある。
 殺人を犯した犯人、主人公のムルソー
が裁判で犯行の動機を問われ、最後に、
こう答えた。
 「太陽がまぶしかったから」―と。
 判決では死刑が宣告されたが、ムルソ
―はそれすら関心を示さなかった……。
 啓一は、窓の外をぼんやりと眺め、胸
が締め付けられる思いがした。
      (三十一)
 三十分もすると、日本の東京駅に似た、
レンガ造りのソウル駅に着いた。

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